新卒1年目に退職し、それから6年を経て正社員に。
そんな僕自身のこれまでのキャリアについて赤裸々に書いてみました。
新卒カードを使って就職
大学受験時に1年の浪人期間があったものの、高校と大学はダブりなく卒業。
大学3年生のときから真面目に就活を始め、希望した会社の選考を通過し、就活は無事に成功しました。いわゆる「新卒カード」を使って就職することに。
そこから順風満帆な社会人生活を送ることになる。そう思っていました。何の疑いもなく。
そこから何があったの?
なぜ新卒半年で退職したのか
2018年春に全国転勤ありの正社員として入社。
配属先でも研修先でもピカピカの新卒として丁寧に扱われました。
けれども、その年の8月末には当時の上司に退職を伝え、10月上旬に退職しました。
なぜそんなに早く辞めてしまったの?
表向きの退職理由
「フリーランスという働き方に憧れて自分もそういう働き方がしたいから」
そんなポジティブな退職理由を上司や当時の同僚に伝えて退職。退職した後には親にも同じ説明をしました。
たしかに当時の自分が「フリーランスという自由な働き方や生き方を選びたい」と思っていました。
実際にウーバーイーツ配達員になることによってその願望は実現させました。
しかし、当時ぼくが憧れていたのは「パソコン1台あれば、いつでもどこでも働ける!」というキラキラしたWEB系フリーランス。
もし心から「WEB系フリーランスになるぞ!」と思っていたのであれば、いきなり退職するということはしなかったと思います。
退職する前に「まず副業をしてみる」「副業して上手くいき始めてから退職する」という方法を選ぶのが一般的であり合理的なはず。
何の当てもなく、いきなり会社を辞めてしまうというのには、心の底で眠っていた本当の理由がありました。
本当の退職理由
新卒半年で退職してから半年くらい経った頃に、表向きではない本当の退職理由にやっと気づくことができました。
その理由は「適性がなかったから」「単純に心身ともにしんどかったから」です。
理由がありきたり過ぎる
もう少し具体的に教えてほしいなぁ
適性がなかった
小売業&サービス産業の会社に入り、最初は店舗で働いていました。
仕事の大半はパソコンの前ではなく従業員や顧客の前で仕事をするという感じ。僕はその仕事環境に対しての適性が皆無でした。
サービス業というのは多くの人にとって、一見何の適性も問われなさそうな職種かもしれません。
しかし僕は明らかに適していなかったです。
まず壊滅的に記憶力が低い。そのため、パソコンなどで情報整理しながらでないと、頭の中がグチャグチャに。
そしてすぐに疲れる。自律神経のコントールが上手くないため、人の声とかが過度に聞こえてくるとすぐヘトヘトになる。その結果、ストレス過多に。
さらに頭の回転が非常に遅い。吟味する間もなく情報を処理していく仕事が大の苦手。
それにも関わらず、目の前の状況が常に変わるし、その中で頭の瞬発力が求められる仕事だったため、全くうまく出来ず、かなり苦痛でした。
単純に能力不足だね
そういった自分の適性の無さや能力の低さについて、心の底では気づいていたはず。
けれどもそれを認めてしまうと、自尊心が崩壊してしまいそうでした。
自尊心が崩壊しないように、自分を守るために、適性の無さや能力の低さという現実を見て見ぬフリをしていた気がします。
自分の非力さを認められない時点で自尊心が崩壊してるね
うわ〜、エグいこと言うね
大学生の時に飲食店でアルバイトをしていました。
そしてそのアルバイト経験の中で、自分の「低能さ」「無能さ」というのは何回も見てきたはず。
それにも関わらず、なぜか同じサービス業界を選んでしまっていました。
学習能力なさすぎ、、
学習能力の低さは指摘しないでくれ
心身ともにしんどかった
新卒入社した会社では同期とも配属先の同僚とも人間関係は上手くいっていました。
残業することはあまりなかったし、上司に怒鳴られるようなことは1度もなかったです。
環境にはかなり恵まれていました。
自分に適性がなかったり能力が低かったりしても、自分自身が仕事内容に興味関心を持つことができれば、仕事にのめり込み、自分を適性のある人間に変え、能力を身につけることもできたはずです。
- 仕事内容に興味関心がある
- 仕事にのめり込む
- 自分を改造する
- 能力を身につける
- 仕事が楽しくなる
しかしそれができなかった。なぜなのか?
仕事内容に興味関心を持つができなかった理由は退職してしばらくしてから気づきました。
その理由は「自分の興味関心を置き去りにしたまま生きてきたから」です。
いつの日からか、自分の魂をどこかに置いてきた状態で、周りの人間に自分という人間が良く思われるための行動を選び続けていたようです。
周りのウケが良さそうな服を見つければ自分の感覚にしっくり来ていなくてもその服を選んで着たり、カラオケで歌えばウケの良さそうな曲があれば別に対して好きでなくても何回か聴いて選曲したりといった感じ。
全てにおいてではないですが、大なり小なりそういう部分がありました。そして良く思われるための行動を選び続けてきたことで、僕は心身ともに疲れ切っていたのだと思います。
退職して何をしていたのか
2018年春に新卒入社した会社を2018年10月に退職し、それから何をして過ごしてきたのか。
新卒カードはもう使えないよ?
ウーバーイーツ配達員を始める
日銭を稼ぐ必要があったので、2019年1月にウーバーイーツの配達パートナーになりました。
当時、ウーバーイーツの配達仕事は「ギグワーカー」という働き方として世間的に知られ始めていました。
ウーバーイーツの配達仕事をするというのは、ウーバーに勤めるということではなく、1人の個人として委託業務を請け負うことになります。
つまりフリーランスとして働くことになるため、「フリーランスという自由な働き方や生き方を選びたい」という願望が叶いました。
なんだかんだ願いが叶って良かったね!
実際、稼働日数も稼働日も稼働時間数も稼働時間も稼働場所も、あらゆる要素を自分で選べるという働き方ができたので、精神的にすごくラクで、心が疲れ切っていた自分にはピッタリな仕事だったと思います。
ウーバーイーツの配達をしていた期間には、1人でインドに行って4週間過ごしたり、5ヶ月間だけ東京の格安シェアハウスの押し入れに住みながら配達したり、大阪の堺から大分の別府までヒッチハイクしたり、イギリスに治験を受けに行ったり、それ以外の期間は実家に住みながら配達したりと、住む場所を変えたりしながら生活することもできました。
ライティング案件を請け負い始める
ウーバーイーツの配達仕事の傍ら、趣味でブログ投稿サービス「note」に記事の投稿を不定期で行っていました。
そんな中、ある日「文章を書くという趣味ができたのなら、それの延長で日銭を稼げるのでは?」と考え始めることに。
クラウドソーシングサービスでどんな案件が転がっているかを物色。すると、自分でも出来そうな執筆案件がいくつかあったので、やってみることに。
単価の低い案件ばかりこなしていたのですが、1件1件を納期までに確実に完了させていくことで実績が1件ずつ積まれていきました。
そのことがランサーズ上で可視化されていくのですが、それがゲームみたいに思えて楽しくなっていき、気づけば実績数が50件を超えていました。請け負い始めてから3ヶ月目には「認定ランサー」に。
※現在は稼働しておらず、ランクはブロンズクラスに降格
案件を選ぶときは、単価はある程度安くてもいいから自分の興味関心のあるテーマで書けるかどうかを優先していました。
ジュニア年代のサッカーコーチを始める
ウーバーイーツ配達を始めてから1年半ほど経った頃に、サッカーコーチの仕事も始めました。配達案件や執筆案件と並行して。
Indeedで求人を見つけて応募し、面接なしでいきなり練習会に呼ばれることに。初回はアシスタントみたいな感じでしたが、2回目からは主任としてコーチすることになり、いきなりのことに戸惑ったことを今でも覚えています。
そのサッカースクールでのコーチ業務は、1時間の練習会を主催して1回3,000円が貰えるという比較的高単価の仕事で、アルバイトではなく業務委託という契約でした。
最初は週1回だったのですが、参加選手が増えていったこともあり、週3回、大阪市や尼崎市で開催。
また、そのスクールで一緒にやっていたコーチの人に別のチームのコーチアルバイトを紹介してもらい、そちらでも週3回ほど働くことになりました。
その結果、一時期は週6日でコーチをしていました。
全部やめて職業訓練校へ
ウーバーイーツの配達、ランサーズでのライター活動、ジュニア年代のサッカーコーチ、といった感じで、3つの職を掛け持ちしていました。
そんな中、当時の彼女(現在の妻)から「求職者支援制度を使って職業訓練を受けると、月10万円をもらいながら半年間勉強できるよ」という話を教えてもらいました。
もともとWEBの仕事に興味があったこともあり、WEB系コースのある職業訓練校に通うことに。
正直、月10万円をもらう目的で制度を利用したんじゃないの?
い、いや、そんなことないよ。実際、職業訓練を修了した後は就職しているわけだし。。
なるほどね。とはいえ、働かずに月10万円ももらえたのはラッキーだね。
それは間違いない。月10万円の給付金のおかげで、勉強に専念できたと思う。
久々の就職活動
職業訓練は真面目に通い、特に終盤の時期は授業時間以外も家で作業をしていました。そして職業訓練が残り1ヶ月となった段階で就職活動をスタート。
スーツは持っていませんでしたが買わずに、全て私服で面接を受けていました。
新卒のときは人間性を見られることが多かったですが、中途でWEB業界での就活となると、「お前は何をしてきたのだ?」と問われるばかり。新卒の時と大きな違いを感じました。
いわゆる真っ当なキャリアを歩んでいない上に、実務未経験だったので、まずはアルバイトとして働かせてもらえるところを探しました。
再就職
1ヶ月ほどの就活を経て、制作会社からアルバイトとして内定をいただきました。
最初の1年はアルバイトとして
「フルタイム勤務」「仕事内容はサイト制作補助」という条件で2022年11月に入社することに。
「仕事内容はサイト制作補助」ということで入社したのですが、gitの使い方が分からなかったりして補助としての仕事もロクにできないという状態からのスタートでした。
いろんな人にWEB制作に関わるあらゆることを教わったり、自分で勉強したりして何とか仕事を自力で進めていけるように。
6年越しで再び正社員に
入社してから1年ほど、僕の席の隣に技術力も言語化能力も高い先輩がいて、その人から色々吸収させていただきました。そういった恵まれた環境にいられたのは幸運だったと思います。
入社してからしばらくの間は、自分の非力さに己の自尊心がぶん殴られて精神的に辛かったときもありました。
けれども自分なりに自分の課題を乗り越えていき、入社から1年ほど経った段階で正社員での勤務を希望。その後すぐに正社員に登用してもらうことに。
- 入社1年で正社員での勤務を希望
- 希望した翌々月から正社員に
新卒1年目で退職してから6年越しで再び正社員になりました。
まとめ
以上が、早期退職してから再就職するまでの経緯でした。
まとめると以下のような感じになります。
- 新卒入社6ヶ月で退職
- ウーバーイーツ配達を始める
- ライティング案件を請け負い始める
- ジュニアサッカーコーチを始める
- 3つの職を全部辞める
- 職業訓練生になる
- 制作会社でアルバイトとして働き始める
- 制作会社の正社員になる
転職活動についての記事も書いたのでよかったらよかったら見ていってください〜